柔道男子73キロ級で、パリオリンピック日本代表に内定した、橋本壮市選手。
静岡県出身の選手が選ばれたのは初ということで、大きな期待を寄せられています。
そんな橋本壮市選手ですが、どのような学生時代を過ごしてきたのでしょうか。
今回は、橋本壮市選手の学歴について、調査しました!
ぜひ、最後までご覧ください。
橋本壮市の学歴は?
橋本壮市選手の学歴について、順番に見ていきましょう。
橋本壮市の出身小学校は?
橋本壮市さんの出身小学校は、浜松市立富塚小学校です。
柔道を始めたのは6歳のときで、小学校3年生からは、浜松市西区湖東町の育誠館道場でした。
5年間育誠館で練習を続けた、橋本壮市さん。
この道場は昭和57年に設立され、地元の小中学生が所属してるそうです。
橋本壮市さんは幼い頃から活発でガッツがあり、体幹も強かったとか。
背負い投げや組み手も上手で、柔道が大好きな少年だったそうですよ。
しかしまだ、ずば抜けて強いわけではなく、伸びしろがある選手だったようですね。
もともと運動神経が良く、数々の逸話があったようです。
- 自転車は補助輪なしで乗り始める
- バランスボールに両足で跳び乗って1分近く落ちなかった
- 陸上の記録会では走り幅跳びで標準記録を大きく上回り、クラブにスカウトされた
家族構成は両親と兄の4人で、お兄さんが柔道をやっていたという情報はありませんでした。
橋本壮市の中学校や戦歴は?
橋本壮市さんの出身中学校は、東海大相模中学です。
中学から浜松を離れ、神奈川県に拠点を移しています。
東海大相模中学校時代に、柔道のセンスを開花させていました。
- 中学2年生:全国中学校柔道大会66kg級で3位
- 中学3年生:全国中学校柔道大会73kg級で2位
橋本壮市の高校や戦歴は?
橋本壮市さんの出身高校は、東海大学付属相模高等学校です。
中学校から、エスカレーター式で進学したようですね。
このころにはさらに実力をつけ、高校選手権や金鷲旗、インターハイを制します。
東海大相模高校には、同級生の羽賀龍之介さんや藤井岳さん、先輩には王子谷剛志さんというスター選手がそろっていました。
そして、史上2校目となる高校3冠を達成したのです。
- 2009年金鷲旗:優勝
- 2009年インターハイ個人戦、団体戦:優勝
- 2009年国体少年男子の部:優勝
橋本壮市の大学や戦歴は?
橋本壮市さんの出身大学は、東海大学です。
中学校から、東海大学までエスカレーター式で進学していたようですね。
大学1年生の時には、学生体重別において、決勝で先輩に敗退。
全学年で2位なので、1年生の中で一番強かったということですね。
大学2年生では見事優勝し、3年生で73キロ級に決めていんます。
3年生のときには団体優勝、4年生で個人優勝、団体2位という好成績でした。
ほかにも、国際大会や個人大会、各種大会で優勝に輝いています。
- 2010年 ブレーメンジュニア国際:優勝
- 2010年 ドイツジュニア国際:3位
- 2010年 学生体重別:2位
- 2011年 優勝大会:優勝
- 2011年 学生体重別:3位
- 2011年 体重別団体:優勝
- 2012年 優勝大会:優勝
- 2012年 体重別団体:優勝
- 2013年 優勝大会:優勝
- 2013年 学生体重別:2位
- 2013年 体重別団体:2位
パーク24所属
橋本壮市さんは2014年から、パーク24に所属。
実業個人選手権では優勝となり、ヨーロッパオープン・リスボンでも優勝となりました。
2016年にはアジア選手権で優勝。
世界ランク上位の選手のみ出場できる、ワールドマスターズでも優勝しています。
2018年では2年連続体重別で3回目となる優勝に輝き、世界選手権代表に。
中学時代から才能を開花し、ほぼ無双と言えますね!
しかし2018年9月の世界選手権において、右目を負傷してしまい、1.5以上あった視力が0.5以下にまで落ちてしまいます。
畳に頭を強打し、「右外傷性視神経症」と診断。
神経が傷ついてしまったので、コンタクトなどで視力の回復はできず。
日常生活にも影響が出そうですが、しばらくするとその状態に慣れた、と冷静にコメント。
現在は、主に左目で生活をしているそうです。
プライベートでは、2020年に結婚し、2021年11月には長女が誕生しています。
家族の応援のもと、パリオリンピックでの活躍を期待したいですね!