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池江璃花子の幼少期のエピソードまとめ!水泳を始めた時期や白血病はいつから?

パリオリンピックへの出場を決めた、競泳女子選手の池江璃花子さん。

驚異の身体能力で10代から活躍しており、メダル獲得が期待されています。

そんな池江璃花子選手ですが、幼少期のエピソードも気になりますね。

今回は、池江璃花子さんの幼少期について、調査しました!

ぜひ、最後までご覧ください。

池江璃花子の基本プロフィール

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  • 氏名  :池江璃花子(いけえ りかこ)
  • 生年月日:2000年7月4日(24歳 ※2024年5月時点)
  • 出身地 :東京都江戸川区
  • 身長  :171cm
  • 血液型 :A型
  • 出身大学:日本大学スポーツ科学部
  • 所属  :横浜ゴム/ルネサンス

池江璃花子選手は、生後3歳から水泳を始めました。

すでに5歳で4泳法すべてにおいて、50メートルを泳いだそうですよ。

高校入学後、リオデジャネイロオリンピック代表選考会となる日本選手権に出場。

高校新記録7回、日本新記録1回、世界ジュニア新記録1回という圧倒的な強さで、4種目でオリンピック代表権を獲得しました。

その後も、日本競泳史上初となる7種目でのオリンピック代表が決定。

メダル獲得とはなりませんでしたが、アジア競技大会日本選手6冠を達成。

高校3年生のときには、日本選手権において、4種目すべてで日本記録を計6回叩き出します。

その後、白血病を発症し、休養へ。

闘病中の2019年4月8日、日本大学スポーツ科学部に入学。

水泳部に入部し、つらい闘病に耐え、競技に復帰します。

2021年には、日本選手権の100メートルバタフライ決勝で優勝し、東京オリンピック出場に内定。

2023年4月1日からは、横浜ゴム所属になりました。

2024年、パリオリンピック日本代表選考会「国際大会代表選考会」において、女子100mバタフライで2着に入線し、パリオリンピック出場を決めました。




池江璃花子は何歳から水泳を始めた?

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自宅の風呂で、水中出産により誕生した、池江璃花子選手。

生後2カ月から母・美由紀さんが運営している幼児教室(EQWELチャイルドアカデミー本八幡教室)に通い始めます。

超早期教育を受け、3歳から水泳を始めました。

美由紀さんいわく、小学校に入る前まで、手のかかる子だったとか。

3人兄弟の末っ子で、姉と兄は、親の言うことを聞く大人しい子供だったそうです。

池江璃花子さんは正反対で、自分の主張がはっきりしていました。

水泳は、姉と兄が先に始めていたので、池江璃花子さんも自然な流れで始めています。

池江璃花子さんは0歳から12歳まで、幼児教室に通いったそうです。

ほかにもいろいろと習い事をしましたが、親が得意ではないことは、だんだん子どもも飽きてくるように。

近所で好きなだけ通えるスイミングクラブが、兄弟みんなに合っていたようです。

美由紀さんは幼少期、スイミングの選手コースにいたのですが、練習が辛くて辞めてしまった経験がありました。

水泳にあまりよい印象がなかったものの、子供たちに向いていたようで、スイミングを習わせることに。

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池江璃花子さんはきつい練習にも耐えられるほど、水泳が好きだったそうです。

5歳で自由形、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライすべてにおいて、50mを泳げるように。

池江璃花子さんが歩けるようになってからは、抱っこやベビーカーに乗せず、自分で歩かせるようにしていたそうです。

また、鉄棒やうんていで握る力をつけ、運動神経の発達につながります。

小学5年生のころには、自宅にもうんていを取り付けたそうです。

池江璃花子さんの持って生まれた素質と教育で、身体能力が飛躍的に伸びたのですね。

池江璃花子の幼少期のエピソード

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池江璃花子さんは、父が元航空自衛隊パイロットで、「人材育成・研修を運営する企業」の代表取締役社長・池江俊博さん。

母は幼児教室『七田チャイルドアカデミー本八幡教室』の代表ということで、教育一家に生まれました。

1歳6カ月で逆上がりができるようになり、5歳で腹筋運500回できるという、驚異の身体能力でした。

その才能を開花させたのが、母・美由紀さん。

幼児教室に取り入れている七田式とは、七田眞氏の「右脳開発理論」をベースに、子供の能力を育てていく教育法です。

池江璃花子さんがうんていをしていたのも、美由紀さんの教育方針。

まだ幼稚園生でありながら、5分でも6分でも、平気でぶら下がっていたそうですよ。

3歳~中学1年生までは、東京ドルフィンクラブ江戸川スイミングスクールに通っています。

小学3年生頃から全国大会に出場するように。

中学入学直前には「全国JOCジュニアオリンピックカップ春季大会(11~12歳区分)」において、50m自由形で優勝に輝きます。

中学入学後はハイレベルの練習環境を求め、ルネサンス亀戸に移籍。

2014年3月には、「全国JOCジュニアオリンピックカップ春季大会(13~14歳区分)」において、50m・100m自由形で短水路中学記録を更新。

同年4月に開催された日本選手権では、50m、100m自由形、50mバタフライにおいて、中学生唯一の決勝進出を果たしました。

そして、翌年の日本選手権において、50mバタフライで優勝。

中学生全日本チャンピオンは1996年以来、19年ぶりの快挙でした。




幼少期の習い事はなに?

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池江璃花子さんは幼少期、水泳以外もたくさんの習い事をしていました。

ピアノやバレエ、書道にそろばん、百人一首もあったとか

10種類ぐらい習っていたそうですが、池江璃花子さんは好奇心の強い子で、どれも楽しんでいたみたいですね。

母の美由紀さんは、興味がなければ辞めてもいいという考えで、最終的に残ったのが水泳でした。

とにかく器用な子供で、自転車や一輪車も一日で乗りこなすように。

また、女子選手は恋愛をすると戦闘モードに入りづらいという母の教えから、恋愛を禁止されていたとか。

年ごろの女性がずっと恋愛禁止とは、少々酷ですね。

白血病は何歳から?

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池江璃花子さんは2019年2月、白血病を公表しています。

競技生活を一時中断し、治療に専念することとなりました。

過酷な闘病生活で、高校の卒業式にも出席できませんでした。

白血病がわかったのは2019年1月18日、オーストラリア合宿を体調不良で切り上げて、早めの帰国をしたときでした。

帰国後に検査をし、白血病と診断されたのです。

予定されていた水泳競技大会はすべて辞退し、療養生活に専念することとなりました。

白血病闘病中の2019年4月、日本大学に入学し、水泳部に入部します。

東京オリンピックは断念し、その次のパリオリンピックを目指すことを明らかにしました。

抗がん剤投与などを続ける化学療法を始め、合併症による体調悪化が続きます。

2019年夏に「造血幹細胞移植」を行ったところ、奇跡的に回復。

翌年3月には、プールに入れるまでになりました。

大学2年生の8月には、594日ぶりに東京都特別水泳大会で競技会に復帰。

2月のジャパン・オープンにおうて、50m自由形で2位となり、表彰台に上りました。

その後、東京オリンピックが1年延期となり、池江璃花子さんも出場の可能性が出てきます。

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日本選手権兼オリンピック代表選考会では、100mバタフライで3年ぶりの優勝。

50m、100m自由形、50mバタフライでも4冠を達成し、4×100mメドレーリレーと4×100mリレーにおいて、東京オリンピック出場が決まりました。

白血病により長期間水泳から離れ、筋力がゼロに近い状態から、奇跡の復帰を果たしています。

池江璃花子選手の並々ならぬ努力と、水泳に関する天性の才能があり、復活劇を遂げたのですね。

パリオリンピックではぜひ、メダルを獲得してほしいですね!

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