今回は熊野正士議員の家族構成(嫁、子供)について調査しました。
生い立ちについてもご紹介します。
熊野正士議員は医師免許のある国会議員ということで
話題になっています。
まずは熊野正士議員の基本プロフィールから見て行きましょう。
熊野正士の基本プロフィール
熊野正士議員の基本プロフィールについてまとめました。
- 出身:兵庫県姫路市生まれ
- 在住:大阪府大東市
- 年齢:1965年生まれ
熊野正士さんは医学博士を持っている参議院議員です。
公明党厚生労働部に所属し、国際局次長、
地域医療関西会議議長も経験されています。
学歴についてはこちらです。
1978年 3月 姫路市立曽左小学校 卒業
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1981年 3月 三原市立三原第二中学校 卒業
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1984年 3月 広島県立三原東高校 卒業
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1990年 3月 愛媛大学医学部 卒業
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1997年 3月 愛媛大学大学院 博士課程修了
愛媛大学の医学部を卒業されて、博士課程も終了。
素晴らしい学歴ですね。
【顔画像】熊野正士の家族構成は?
熊野正士議員の家族構成についてはこちらのお二人です。
- 奥様
- 娘
奥様と娘さんとご本人の3人家族のようです。
奥さんや、娘さんについて調べましたが
一般の方のため個人情報については公表されていませんでした。
熊野正士の実家の家族構成は?
熊野正士議員の実家の家族構成についてもまとめました。
ご実家の家族構成は
- 母親
- 父親
- 熊野正士
- 妹
ご両親と妹さんとご本人の4人家族だったようです。
ただ母親は幼い頃に他界し、父親は事業に失敗
広島の祖父母の家で育った熊野正士さん。
詳しく見ていきましょう。
母親:幼少期に他界
熊野正士議員の母親は熊野正士議員が小学4年のときに
病に倒れて亡くなります。
37歳という若さだったようです。
当時妹さんは4歳と幼かったため
妹さんのためにも常に
「自分が、しっかりしないといけない」
と思っていたと言います。
そんな、平穏な家族生活が一変したのは、私が小学校4年生の時です。母が突然、病に倒れて、帰らぬ人となったのです。37歳の若さでした。
妹さんのためにも、悲しみを堪えて
気丈に振舞っていたのでしょうね。
父親:事業に失敗
母親が亡くなってからはしばらく
父親と妹の3人で暮らしていました。
しかし、父親が事業に失敗し多額の借金を背負うことに。
食べるものもままならない生活をおくっていたところ
広島に住んでいる祖父母に引き取られたということでした。
妹
妹さんは熊野正士議員の6つ年下だったようで
広島の祖父母の元で一緒にくらしていたそうです。
祖父母:年金暮らしで熊野正士と妹を引き取る
熊野正士議員を育てていた祖父母についてですが
年金暮らしの中で生活を切り詰めて熊野正士議員と妹さんを育てていたといいます。
生計を少しでも支えるために
中学2年の頃から高校卒業までずっと新聞配達のアルバイトをしていたそうです。
私も、少しでも生活の支えになればと、中学2年の頃から「新聞配達」のアルバイトを始めました。この新聞配達は高校を卒業するまで続けました。
熊野正士議員は幼い頃母親と
「医師になる」
と約束していたことを果たすため
高校3年から本格的に受験勉強をスタートし、新聞配達の収入で
受験の参考書を買っていたそうです。
それでもたくさんの参考書を買うことはできず
1科目につき1冊だけ参考書を購入し
ひたすら繰り返し繰り返し、学んでいたと言います。
受験勉強の甲斐もあり、愛媛大学医学部に合格。
愛媛大学医学部といえば偏差値65で
相当勉強ができなければ合格できないと思います。
それを新聞配達をしながら、こなしていたってすごいですよね。
大学時代の学費については
経済的な配慮から医学部6年間の授業料は免除されていたようです。
しかし教材費は生活費は奨学金やアルバイトでまかなっていたと言います。
学生時代からかなり苦労されていたことがわかります。
本当に壮絶な生い立ちでした。