この記事では山田邦子さんがテレビにでない理由は干されたとの噂があるので検証していきます。
1981年にデビューした後、80年代90年代前半にかけてお笑いや司会、
モノマネなどマルチに大活躍をし1994年の全盛期には週に14本ものレギュラー番組を持っていた山田邦子さん。
女芸人として初めて天下を取ったと言われています。
月収でも1億円を稼ぐほどテレビに引っ張りだこだった山田邦子さんですが、
1990年代後半からはあまりテレビで見かけなくなりました。
レギュラー番組を14本も持っていた山田邦子さんが、どうして干されてしまったのでしょうか。
今回は、山田邦子さんがテレビにでないのは干されたのか、
どうして干されてしまったのか3つの理由について調べてみました。
山田邦子がテレビにでない理由は干された?3つの理由とは?
天下を取ったとまで言われていた山田邦子さんが
テレビから姿を消すこととなった干された理由についてひとつずつみていきましょう。
その1:芸能リポーターに暴言?
干された理由の一つ目に『芸能リポーターに対する暴言』というものがありました。
実は山田邦子さんは1995年に不倫交際を報道されているのです。
この報道をうけ、山田邦子さんにはとてつもないバッシングを浴びました。
そして芸能リポーターの井上公造さんが、この不倫について山田邦子さんへインタビューをした際に
「お前モテないだろう。バカじゃないの」
と暴言を吐いたのです。
ただでさえ不倫に対しては世間の目が厳しいにも関わらず、
『結婚願望が強くて、モテないキャラ』
の山田邦子さんのイメージとのギャップ。そしてこの暴言を吐く様子がワイドショーで繰り返し放送され、
山田邦子さんの好感度は一気に下がってしまいました。
その2:不倫の末に結婚?
前述にある不倫報道ですが、
山田邦子さんはこの不倫報道のお相手、後藤史郎さんと2000年に結婚をしました。
1995年に不倫報道がされ、それでも5年間交際を続けていたのですね。
山田邦子さんのお父様も交際には大反対をしたとのこと。
そのお父様が挙式前に亡くなりましたが四十九日も明けぬ内に挙式をあげました。
世間では『奪略婚』と呼ばれ、このお二人の挙式の当日には後藤史郎さんの娘さんが自殺未遂をしたという情報もありました。
山田邦子さんはそこまでしてでも後藤史郎さんと結婚したかったのでしょうが、
捨てられた家族からすると家庭を壊し、それでも平気でテレビに出ている山田邦子さんの様子をみるのは辛かったのではないでしょうか。
ここでもまた山田邦子さんの好感度は下がってしまい、
好きなタレントランキングで1位だったのが翌年には14位まで落ちてしまいました。
その3:視聴率が低迷していた
1995年に山田邦子さんが出演していた番組で、視聴率が低迷するようになっていったのです。
NHKの大河ドラマ『八代将軍吉宗』では、
農民の出という説のある吉宗の生母”浄円院”役に抜擢されますが視聴者からは
「ミスキャストだ」との声が多くあがりました。
また、同時期にお昼の帯番組『山田邦子のしあわせにしてよ』がスタートしましたが、
『笑っていいとも!」などの番組を抜くことはできず低視聴率のままでした。
そしてこの視聴率の低下もまたバッシングの材料とされるのです。
1995年にテレビの出演は減っていき、1997年にはすべての冠番組が打ち切りとなってしまいました。
このような3つの理由で干されてしまい、テレビにでなくなった山田邦子さん。
テレビへの露出が少ない中で、乳がんが見つかり闘病をする時期がありました。
この乳がんをきっかけに、がんに対する知識と理解を呼びかけるチャリティー団体を結成するなどの活動をされています。
そして、2022年M-1グランプリの審査員に選出されたこともあり、
これからまたテレビへの出演が増えてくるのではないでしょうか。
今後の活躍にも期待したいと思います。
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