次期アーチェリー界のエースの呼び声も高い、斉藤史弥選手。
2024年パリオリンピックへの切符をつかみ、メダル獲得への期待が高まっていますね。
そんな斉藤史弥選手ですが、彼女事情も気になります!
今回は、斉藤史弥さんに彼女がいない理由について、調査しました!
ぜひ、最後までご覧ください。
斉藤史弥の基本プロフィール
- 氏名 :斉藤史弥(さいとう ふみや)
- 生年月日:2004年12月1日(19歳 ※2024年5月時点)
- 出身地 :羽島市舟橋町
- 所属先 :日本体育大学
- 趣味特技:寝ること
- 経験したスポーツ:フットサル、バトミントン、テニス、ボウリング
岐阜県羽島市出身の斉藤史弥選手。
アーチェリーを始めたのは、11歳からでした。
岐阜県でジュニアアスリート育成プロジェクトがおこなわれ、そこで恩師・本間隼人先生に出会います。
それ以降、恩師と二人三脚でアーチェリーを続けてきました。
中学では全国一位となり、本間隼人先生の在籍する岐阜県立大垣西高校へ進学。
岐阜県立大垣西高校は、アーチェリー部の名門で、60人の部員が所属しています。
高校3年生のときには、「全国高校選抜」「インターハイ」「国民体育大会」を制し、三冠を成し遂げました。
絶対的なエースとして、一気に知名度を高めたのです。
その後、日本体育大学に進学。実家を離れて、寮生活がスタートしました。
大学1年生のときには、インカレのリカーブ男子を制しています。
2023年、7~8月にドイツで開かれた世界選手権において、男子リカーブ団体で3位に。
団体、個人ともにパリオリンピック選考会を勝ち抜き、出場権を獲得しました。
日本代表入りから、わずか4カ月の快挙だったのです。
現在は、パリオリンピックに向けて、細かな調整をしているところでしょう。
斉藤史弥に彼女がいない理由は?
斉藤史弥選手に彼女がいるかどうか、気になりますよね。
調べてみましたが、彼女がいるという情報はありませんでした。
高校時代、全日本準優勝を成し遂げ、その反響は想像以上に。
学校に戻ると祝福の大歓声だったそうで、とても嬉しかったそうですよ。
その後、練習はいつも通りにしていたそうですが、環境が大きく変わったと振り返ります。
中高時代からアーチェリー一色なので、彼女を作る余裕はなさそうですね。
ナショナルチームに入り、すぐにパリオリンピック出場権も獲得。
課題も見えたそうで、「体力面の向上」「安定したフォームにつなげるための筋力をつける」という目標に向かって頑張っています。
とはいえ、パリオリンピックに出場する実感は、まだ湧いてこないとか。
オリンピックまでに、学生と全日本のインドア試合、ワールドカップがあるので、まずは目の前のことに集中したいようです。
現在の練習は、矢を放つ本数をしぼり、量より質というこだわり様。
おそらく、プライベートを考える余裕はないでしょうね。
また斉藤史弥選手は、長らく肩の不調に悩んでいたとか。
原因は足のハリだったそうで、その結果、肩にも影響が出ていることが分かりました。
現在は試合前にトレーナーからマッサージを受け、だんだん調子が上がっています。
斉藤史弥の好きなタイプは?
斎藤史弥さんの好きなタイプの女性も、気になりますよね。
しかし、プライベートな情報は、ほとんどありませんでした。
趣味特技が「寝ること」というと、アーチェリー以外の趣味もほとんどないのかもしれません。
現在は日本体育大学の寮に入っているので、オフの日も部員と交流するくらいではないでしょうか。
斎藤史弥選手は小学校5年のころ、大垣西高校アーチェリー部顧問・本間隼人先生と出会います。
中学生から師弟関係になり、「友達以上の友達」と話していました。
本間隼人先生の良いところは、ずばり「なんでもおごってくれるところ」(笑)。
先生も「なんだそれ!」と突っ込んでいました。
パリオリンピックの目標は、「個人」「団体」「混合」全種目において、メダルを獲ること。
斎藤史弥選手がメダルを獲得すれば、メディアが注目し、アーチェリーの認知度もあがるという期待が込められています。
自身のアーチェリー人生のみならず、競技の普及にも貢献したいのですね。
また、地元である岐阜県羽島市にメダルを持って帰りたいという目標も。
世界選手権に出場する際、鳥羽市役所に懸垂幕が設置されたそうで、町全体で応援しています。
そのことが、斎藤史弥選手の原動力になったそうですよ。
オリンピックのメダルを獲ることで、ふるさとの羽島市に恩返しをしたいと言います。
皆の応援を力にして、パリオリンピックでは、ぜひメダルを獲得してほしいですね!